聾歴史の闇に埋もれた、知られざる人物

古海巨(ふるみ・ひろし)A

日本聴力障害新聞・元編集長
元全日本ろうあ連盟常任理事(編集部長)

聴障新聞・サイレントの編集を手がけた
近代デフ・ジャーナリストの先駆者

 古海巨の父親は、映画監督で有名な古海卓二(ふるみ・たくじ)で、1894年(明治27年)3月3日、福岡県遠賀郡黒崎村(現在の同県北九州市八幡西区)に生まれる。

 1920年(大正9年)女優の紅沢葉子と結婚後に長男の古海巨が生まれたが、1934年(昭和9年)に離婚した。

 1959年(昭和34年)に脳溢血で倒れて、1961年(昭和39年)4月10日に67歳で没した。

 母親の紅沢葉子は、本名は友野はなで、古海卓二と婚姻関係にあったときの本名は古海はなである。離婚後の1985年(昭和60年)に83歳で没した。

出典:古海卓二 - Wikipedia
紅澤葉子 - Wikipedia


古海卓二(ふるみ・たくじ)

「映画に生きた
古海卓二の追憶」
を出版




横幕家の収蔵本
 亡父の遺稿集「映画に生きた古海卓二の追憶」を出版して、各界に話題をなげた本紙編集長古海巨氏の出版祝賀パーティが去る6月16日夜、東京・東中野の「モナミ」に於いて開催された。本紙編集委員伊藤允義、井上亮一両氏他落合孝吉氏らの発起で25名のインテリろう者が馳せ参じ、盛大にひらかれた。

 自らの手で出版されたということは、ろうあ界では最初のことであり、古海氏の労をねぎらうと共に今後の道標として集まった人たちに勇気と自信を持たせる意味において実に有意義なる集会に終始した。この出版パーティを開くにあたり「名もなく〜」の松山善三先生より参加者の一人としてお祝い下さり、集った人たちに深い感銘を与えた。 

 なお、古海巨の亡父卓二氏はかつては映画監督として名を馳せ、昭和5年に初めて“旗本退屈男”を世に送ったのをはじめ、100本近くの映画作品がある。映画界にはいる前には、獏与太平のペンネームでオペラの脚本をかいており、そのころが最も花やかなときで、詩人藤浦洸のことばを借りると、卓二氏が大正時代をエンジョイして盛名がうたわれたとのこと。

 東京放送から「瘋癲老人日記」が放送されたときジャーナリズムの話題をにぎわせたが、作家谷崎潤一郎氏の初放送に妻女の役を引受けた女優(日活専属)紅沢葉子は古海編集長の実母にあたる。
(日本聴力障害新聞の記事より)

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リポート/美多哲夫(金沢市・日本聾史学会会員)


外部リンク/サイレントJAPANサイレントJAPAN - YouTube

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