表舞台から消えた真相を知る、鈴木義夫氏が証言

古海巨(ふるみ・ひろし)番外編

日本聴力障害新聞・元編集長
元全日本ろうあ連盟常任理事(編集部長)

聴障新聞・サイレントの編集を手がけた
近代デフ・ジャーナリストの先駆者


2013年8月9日に、古海巨シリーズをCで完結したあと、8月23日にfacebookで、古海の長女・横幕幸子さん(岐阜県瑞穂市在住)から投稿がありました。
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美多哲夫様
ありがとうございます。
記事がアップされたので、暴露しましょうか(^◇^;)

父が並々ならぬ努力、苦労をしてデフリンピック出場を果たした所で選手11人役員4人などを含めての派遣費用は誰が負担する?という所で揉めました。
当時は1ドル360円の時代で選手達、役員達は渡航を断念せざるを得ない状況に。
そこで、抗議行動を起こしたわけで、役員派遣に入れてもらえなかったという不満とは違うのではないかと思います。
どうしてもデフリンピック出場を果たしたかった父は思い切って我が家を売りました。その費用を投じた為に、莫大な借金を抱える事となったのです。

まだまだ沢山の裏事情を知っている私はそれを墓場まで持って行くつもりでいたのですが、まさか、美多さんに掘り起こされるとは思わなかったです。少しずつ講演で裏事情を暴露している私はこれからは暴走してしまいそうです。



古海巨の長女

横幕幸子さん



横幕さんの主張によれば、選手団の派遣費用は、古海編集長が自宅を売って援助したということだが、数々の疑問が残る。

1)費用援助したのなら、なぜ派遣役員に入れてもらえなかったのか。
2)アメリカ滞在中に連盟役員に暴行されたといっているが、たとえ意見の対立があったとしても、援助してくれた人に恩義を感じるから、暴行するはずがない。
3)再度の問い合わせによれば「家を売った事は藤本氏以外誰も知らない事」では、信憑性がない。つまり、誰も知らないから信じてもらえない。

そこで筆者は、検証であきらかにするため、当時の事情を知る関係者を探すことから始めたのである。



ワシントンデフリンピックから帰国時、真っ先に羽田空港迄、迎えに来て下さった橋ヶ谷峻右様。( 写真左側)父はワシントンで全日本聾連盟役員に殴られてできた目のアザを隠す為サングラスから外さない父に橋ヶ谷峻右様は気付いた様です。右側は私です(^◇^;)
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2013年8月26日、facebookより

まず、選手団のうち、卓球の中井リヲ子選手の夫で、真相を知るカギを握る、東京の鈴木義夫氏に接触する必要があった。

facebookで、東京の橋ヶ谷峻右氏の世話により、鈴木氏とFAXでやり取りして貴重な証言が得られた。
そして、ネットで公開することを承諾してもらえた。



鈴木義夫氏

NHKこども手話ウィクリー「ろう者が語る戦争体験」

2011年12月17日に東京で開かれた、日本聾史学会の会場で、たまたま隣り合わせに座っていた「縁」が、鈴木氏の協力をいただけるきっかけになった。

美多哲夫 様

昨夜、FAXをありがとうございました。大分、46年前の話ですが、私が記憶しているところだけお話します。私の妻は日本で最初に卓球選手として参加しました。費用は全部日本身体障害者スポーツ協会が出してくれ、自己負担はまったくありませんでした。派遣役員も同様です。古海さんの場合は派遣役員でなく、日聴紙取材のため、自費で渡米しました。

都内の杉並区⇒三鷹⇒世田谷区、転々と引っ越ししたことは存じておりますが、家を売ったという話は全く聞いておりません。確かに古海さんは日本初参加のためによく尽力してくれました。

派遣当時の揉め事の原因は金の問題でなく、選手の選考の問題です。前年の三月に全国ろうあ者卓球大会が東京で開かれ、上位の成績をあげた選手を内定していましたが、国立日本ろうあ者更生所(現、国立聴覚障害者リハビリセンター)の何何課長のT氏の独断で派遣選手を決めでしまったので、結成して1年にもならない日本ろうあ体育協会役員、全日ろう連役員からもクレームがありましたが、聞く耳を持ってくれなかったし、当時、私達には金を集める力がなかったので、しぶしぶ決められてしまいました。

全国ろうあ者卓球大会に参加しなかった私の妻にもクレームがありましたが、意外にも銀メダルをとりました。日聴紙8月号は古海さんの独断で声明書を載せたために解任されたのです。日聴紙8月号は日聴紙縮刷版に載せられていません。

昭和42年、西ドイツでの冬季大会に日本が初参加した時は古海さんが渾身的に金を集めてくれ、私は団長として参加しました。昭和48年、ろう史上初の海外ツアーを企画、実施した頃は、古海さんと軋轢があったために決別しました。以上の通りです。

鈴木義夫(東京都東大和市在住)2013年9月11日
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【鈴木氏のプロフィール】
3歳の時に高熱と肺炎の為、失聴。日本ろうあ体育大会事務局長、常任理事、技術専門委員、国際ろう者スポーツ委員会代議員、全日本ろうあ連盟議長、評議員、老人部全国委員、手話研究所言語構造部研究員、東京都聴覚障害者連盟理事、監事、東京都三多摩地区ろうあ者団体連合会理事、宮城県ろうあ協会理事、海外シニアボランティア(ミャンマー、マレーシア、台湾)を歴任後、現在公認日本障害者スポーツ指導員、東京都聴覚障害者連盟手話対策プロジェクト委員、東京聴覚障害者自立支援センター手話講習会講師を担当。著書「体話術でこんにちは」、「ことば無用の海外旅行術」、「聴覚障害者の目で見たマレーシアの実情」「ろうあのよっちゃん苦闘物語」



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リポート/美多哲夫(金沢市・日本聾史学会会員)


外部リンク/サイレントJAPANサイレントJAPAN - YouTube

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